
私は起業家になり、親友は結婚してシングルマザーになった。夢を諦める時の話。
2006年の春。私は小学1年生で晴れて集団行動を学ぶことになった。
家族以外の環境を全く知らなかった小学1年生はそこで初めて、「合唱部」に出会うことになる。
そこで出会った顧問のゴトウ先生は鬼のように厳しく、笑ったところをみたことがないくらい毎日熱血指導の音楽の先生だった。
もちろん、楽譜なんて読めるはずもなかったが、その時に部長をやっていた子の紹介で、何故か奇跡的に入部できた。
正直毎日5時間の練習が、眠くて眠くて仕方がなかった記憶しかないが、「音楽」と「仲間」といる時間が楽しすぎて6年間辞めることはなかった。
中学時代、文武両道を重んじる学校で、掃除は乾拭きのみ。一言でも喋ろうものなら生活指導の岡先生が飛び出してきて、即廊下に立たされる。雑巾でゴミを集めて、箒も禁止。よくわからない校則だらけの学校だった。
もちろん、部活も厳しく、全国大会を目指す熱血指導の毎日だった。
たまたま小学生から音楽をやっていた私は楽器の技術も順調に伸びていき、楽しくなって、辞める理由もなく続けていた。
そんな中で、高校に入学すると一気に音楽をやめる友達が増えていった。
今までは60人ぐらいのメンバーでやっていた部員の友達たちは、気づけば10人も続けているメンバーはいない。
高校に入学すれば、バイトもできるし、おしゃれもできるし、門限も無くなるし、彼氏や彼女もでき始める。
音楽や、部活なんかよりも楽しいことをなんとなく、見つけ始める。なんとなく、私も「全国大会を仲間と目指すよりも、楽しいことがあるんだろうな〜」ぐらいの察しをしていた。そのおかげで、高校時代彼氏ができたことが一度もなかった。
それを上回るほど、高校時代の日々の部活動は楽しかった。
毎日部活終わりのコンビニでたむろをして近所のおじさんが怒りにやってくるくだり、も
鬼顧問の外見をコテンパンにいじって息ができなくなるぐらい笑ってる時も、
みんなが真面目な話してる時にホワイトボードにトイレの落書きしてギリギリバレなかった時も。笑笑
本気で目標に向かってるはずなのに、どこか遊びがあって、怒られてるはずなのに笑えてくる。
高校生になってまで、本気で音楽を続けてる仲間だからある程度の境遇や、生い立ちも理解しあえて、なぜかクラスからはちょっと逸れ者。
そんなメンバーがいる家族みたいな仲間が大好きだった。
全員が全員、もちろん気持ちよく同じ目標を目指せるわけじゃないから時に喧嘩もして、誰かが不良に走って距離が生まれたり、「ごめんけど、辞めるわ」なんてことも何回も何回もあった。
私もそのタイミングで辞める理由なんかいくらでもつくれたはずだ。
「こいつがやめたから辞めるわ。」
「部費、親が払えそうにないから、」
「友達が辞めて遊ぼうって…」
その時に、一瞬でも辞めたい、と思った時期はあったかもしれないが、私は、本心からこの物語を終わらせる訳にはいかないと思っていた。
この文章を、読んでくれている人には伝わっていると思うが、私は仲間と、音楽に情熱があるわけで、楽器の技術向上にはあまりパッションが沸かない。
それって、どうなの?という意見もあるかもしれないが、本当にそうだから仕方がない。
大学進学で、わざわざ県外の大学から教授が尋ねてきて、「うちの大学に入らないか」と言われたのも、楽器がうまかったのはあるかもしれないが、それよりも音楽、パフォーマンスへの情熱があったからだと思う。
1人が目立つステージよりも、チームで勝つステージの方が性に合ってるし、身の程だと思う。
大学進学後、周りには仲間が1人もいなくなった。とにかく単独プレーでプロを目指す世界。学内でのいじめや、嫌がらせが始まった。
信頼のできる大人に相談するも、理解はされず、プロはそういうもんだ、なら辞めればいい、のなんとも冷酷な回答。
自分が強くならないといけない、と思いながらこんな世界間違ってる、と思い続けていた。
そんな中でも唯一親友と呼べる存在だったシバは、とにかく学内でも目立っていた。
好かれる人には好かれるし、嫌われる人には嫌われる。そんな尖った魅力をもっていた。
私はシバのセンスと、とにかく何かを伝えたいと思うスタイルに、光るものをバシバシ感じていた。
学校が終わって河川敷で、夜通し価値観や、今思ってること、今後の夢、今までの生い立ちを話した。
入学から、半年後。シバは突然学校を辞めた。理由は詳しく聞けなかったが、それから会うのは2年後になった。
シバが退学した後、私は「大学生らしい大学生活」を送り始めた。
初めて、音楽以外で時間を使うようになり、バイトをし、社会を知り始めた。
そんな中でだんだん今の環境が鬱陶しく、こんな閉鎖的な場所で将来を考えられない、と思うようになっていた。
一方で、ここで音楽を辞めてしまえば自分には何も残らない。大好きなのに、そんな理由でやめたくはない。ずっともがいていた。
そのタイミングでコロナが始まり、全てがオンライン化。大学に行くことも減ったタイミングで、私は大学に行くことを辞めてしまった。
理由は色々あるが、その先の未来に何も希望が持てなくなってしまったんだろう。
元々アメリカのHIP HOPカルチャーが好きだった、仲間と目標達成をする過程に最も情熱を感じる人間が、属性の異なる環境にいることがストレスになり、全てが負のスパイラルにハマっていた。
卒業後の進路にも、何もワクワクしない。
とにかく今の物語を終わらせるしかできなかった。
そこから、2年越しにシバと再開するのは自然のことだった。
お互いに、大学を辞め「音楽、やりたいんだけど…なぁ」この狭間で揺れ動いていた。
私もシバに音楽をずっと続けていて欲しかった。
私は、2021年10月に、大学を辞めてから初めて自主コンサートを開催した。そしてそこにシバを出演者として誘った。
久しぶりの仲間との音楽は心が踊った。成績の中の上手い、とか下手とかじゃない。
目の前の人間、お客さんをどう感動させられるか。それが音楽の仕事だと思っていた。
その想いに乗っかってか、学内でも優秀だった2人の演奏家(友達)が一緒に出演してくれた。
初めての演奏会は、大満足に終わった。そして、このメンツで、どうしても音楽が続けたい。絶対にこの世の中に身近な生演奏、LIVEを求めている人がいる、その核心の元にMUSIC CARAVAN JAMが生まれた。
たった1人の運命が変わる瞬間を目の当たりにした瞬間だった。
好き、じゃないと続かない。
圧倒的な情熱の元に、人は動かされる。
4年間の苦しみが、無駄じゃなかったこと、全ての答え合わせができたことにひどく感動した。
思えば、ずっと1人でいたことはなかった。
常に周りには仲間がいて、ステージに立って、誰かを心から感動させることが自分の使命だと思っていた。
シバは、パフォーマンスに圧倒的な華がある。そして、演奏している時、生き様を伝えている瞬間が最も輝いている。
そして、私は自分の思い描く方向に少しずつ仲間が増えていく、目標ができる、その主張をエンターテイメントに昇華していく瞬間が好きだ。
それは、表現者としてだけではなく、これから起業家として、自分だけではなく関わってしまった人にはもれなくエンターテイメントを届けたい。
「本当に裕福な人間は、やらないといけないことをやらなきゃいけない時にできる人間だ」
お金に目が眩んで、自分の幸せしか見えなくなってしまう人、他人の幸せを蹴落としてまで自分のエゴを優先してしまう人。
今まで多くの人に出会ってきて、多くの出会いや別れを経験してきた。
今改めて思うのは、表面上の、「いいね」や「共感」「慰め」なんかも本当にうんざりする。
私は、本当に音楽やエンターテイメントで救われてきた人生だったし、そういう人を心からリスペクトしている。
過去の自分をみれば、周りの意見や言葉、環境に惑わされて本当に自分が好きだったこと、何に情熱を持っているのかさえ見失ってしまったこともある。
周りから、大切な人がいなくなったとき、信じていた人に裏切られてしまったとき、そんなことがあるのは当然のことで、別に好きなことを辞める理由にはならない。
そんなことで辞めてしまう承認欲求オバケに、支配されてないようにとにかく大好きなことに正直でいよう。
けど、本当に好きなことを続けていくって時に結構きついこともある。
自分と同じ熱量の人間に出会えることなんか、ほぼほぼ、可能性は限られているし、だからこそ出会いよりも別れの方が多い。
好きなことで、人と決別してしまうのは、辛い。悔しい。いつでも、別れは待っている。
けど、それでいいんだ。別に、努力をして続けているわけではない。辞められないぐらい好きだから続けるんだ。
思えば私は、仕事中もずっと企画や面白いことを考えているし、予定に急いでいる時も面白そうなイベントがあれば、そっちを優先してしまう。
音楽を続けている人に向く興味のベクトルは異常値だし、尊敬しすぎている節もある。
それに加えて子供が大好きなのは、その「好き!」な気持ちが最も純粋で、嘘がなく、正直だからだ。
あー、こんなに幸せな気持ちになれるなら、永遠に遠回りし続けられるな。
最高の「好き」をありがとう。
お前も、頼むから最高の人生送ってくれよな。